ファイアーマスター総合ホームページ








ART No,11
トリプル・ファースト TRIPPLE FIRST
25回・ル・マン 24時間耐久レース
1949/7/26
額サイズ:68×57cm
1981年、ローマ法王、ヨハネ・パウロ11世自らによる、 アルゼンチン、チリ両国の国境紛争仲裁の際、アルゼンチン、カトリック教会の委嘱により アルフレッドが描いた「法王による平和」の肖像は法王自らの手で、アルゼンチンに寄贈され、 現在、ブエノス・アイレス市のパシリカ・ルーアンに見ることができる。
ローマ法王を描いた画家として、中南米では最も有名な画家の一人に数えられる。
ルイジ・キネッティはロード・セルストン、個人エントリーのフェラーリ165MMを駆って1949年、 大戦後初めて開かれたルマンに挑む。この勝利によって、彼自身3度目の勝利をものにすると同時に、 記念すべき、フェラーリのルマン初優勝を記すこととなった。
画面では、フレーザー・ナッシュ”ハイ・スピード”を従えて大観衆の前を駆け抜けるキネッティ。 二次大戦後の観客が自分たちのナショナルフラッグをかざして応援する風景が印象深く描かれている。
ART No,12
フライイング・カラーズ FLYING COLOURS
18回・ル・マン 24時間耐久レース
1938/7/19
額サイズ:68×57cm
アルファ・ロメオ
タルボ
ブガッティ
アストンマーチン
各車のスタート風景、スタート合図と共にドライバーはマシンまで走り着き、乗りこんで、エンジンをかけた。
ART No,13
ブガッティ・レーシング・グリーン BUGATTI RACING GREEN
1回・モナコ・グランプリ
1929/4/14
額サイズ:61×52cm
カラチオラ(メルセデス SSK)はウィリアムス(ブガッティ 35B)を急追、カジノ・スクエアーにさしかかる。 カラチオラはその後、ピットに苦しみ、結局3位に入賞する。
第一回モナコグランプリは上位7台中、ブガッティが6台、まさにブガッティの完勝であった。
1929年は、アメリカで大恐慌の勃発した年に当たる。
ART No,14
ベルジャム・ブリオ BELGIUM BRIO
25回・ル・マン 24時間耐久レース
1960/6/26
額サイズ:61×52cm
25回ルマン24時間耐久レースは大荒れの天候下で行われた。オリビエ・ゲンデビエンの駆る、 ファクトリー・フェラーリ・テスタ・ロッサがピット後のストレートでエクリ・フランコーチャンプ250GTを リードする瞬間。ウイリー・メレスのファクトリー TR60はギヤ・ボックス不調で、18時間目にリタイヤする。

アルフレッド・デ・ラ・マリア 「ローマ法王を描いた画家がF−1マシンを描く」
1940年、南米、ウルグアイに生まれる。モンテビデオ市、ベラス・アートスクールに学ぶ。 1966年(26才)にパリへ留学、3年後帰国、アルゼンチンの有力新聞社に招聘され、25年にわたり、イラストを掲載。 1989年、一連の絵画依頼を、アルゼンチン・ブエノスアイレス・クラシック・カークラブに常設展示。 モータースポーツ画家としての名声を確立した。現在ヨーロッパ、アメリカで最も有名なモータースポーツ・アーティストの一人に 数えられており、我が国では未だ知るものが少ないが、欧米の有名なスポーツギャラリーでは必ずと言っていいほど彼の油彩原画を見ることができる。

エディションプリントは作者の許可の下に限定数量のみの発行するもので、 ギャラリーによるエディション証明書が個別に添付されます。
仕上げ:4.5センチ幅、木製。総金箔張り又はイタリアングリーン・金箔入り。もしくは同等品。 プロフィール(中):5mm、カラー・ゴールド(アルフレッド作品) ワイン・レッド(モンテカルロ・ラリー1964)  マットカラー:ホワイト 前面:透明アクリル、UVカット 額装サイズ:各アートナンバーに添付
カタログ内容は変更になることがあります。

トップへ戻る

株式会社ファイヤーマスタージャパン
 〒166−0016
 東京都杉並区成田西2−6−13
TEL:03-3317-6000
FAX:03-3317-1363
E-Mail:tanaka@firemaster.co.jp