13回、優勝者、 トランティアン氏のサイン入りプリントもあります。
スターリング・モス(メルセデス W196)、アルベルト・アスカリ(ランチア D 50)、トランティアン(フェラーリ 625)がモナコステーション前のヘアピンにさしかかる。
この数周後、アスカリは海に飛び込む事故に遭遇し、"無冠の帝王"スターリング・モスもマシントラブルによって、またも優勝を逸す。
優勝はフランス人、トランティアンに廻ってきた。トランティアンにとっては、まさに「ラッキー・フォア・サム」であった。
モナコの市内は、至る所がF−1レースの観客席であり、今日もこの風景は50年前と全く変わっていない。
アルフレッドの筆は車の轟音と観客の興奮を的確に捉えて見るものを引き込んで、離さない。
1955年、大戦後10年、ヨーロッパ世界は復興に向かって動き出した。我が国では昭和30年、保守合同で自由民主党結成の年として有名。 |
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ドライバー/マシン |
Driver/Machine |
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スターリング・モス/メルセデス W196
アルベルト・アスカリ/ランチア D50
モーリス・トランティアン/フェラーリ 625 |
Stirling Moss /Mercedes W196
Alberto Ascari/Lancia D50
Maurice Trintignant /Ferrari 625
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アルフレッド・デ・ラ・マリア ―「力と勇気」「感動と希望」を描く男 ―
1940年、ウルグアイに生まれる。モンテビデオ市、ベラス・アートスクールに学び、建築を専攻。
18才頃より、現地有力紙上に、「政治」、「スポーツ」イラストを担当。
1961年、プンタ・デル・エステ市にて、初の個展を開催、彼の「海洋画」は人気を呼び、彼をスターダムに押し上げる。
1966年(26才)にパリへ留学、3年間滞在。帰国後、アルゼンチン、ブエノスアイレス市の有力新聞社に招聘され、
25年にわたり「オートムンド」「パラブリサス」「エル・トニ」「ダルタニアン」等でイラストを連載。
1989年、一連の絵画を、アルゼンチン・ブエノスアイレス・クラシック・カークラブに常設展示、モータースポーツ画家としての名声を確立した。
現在、ヨーロッパ、アメリカで最も有名なモーター・スポーツ・アーティストの一人者に数えられている。
1981年ローマ法王、ヨハネ・パウロII世による、アルゼンチン、チリーの国境紛争仲裁の際、彼の描く「法王による平和」の肖像画は法王庁に献上の後、
アルゼンチンに寄贈され、現在ブエノス・アイレス市のバシリカ・ルーアンに見られる。「法王を描いた男」として、中南米の画家としては、1−2に数えられる存在。
肖像画、歴史題材画の名手でもある。 |
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仕上げ:4.5センチ幅、木製金箔張り仕上げ。 |
カラー:ゴールド |
プロフィール:5mm,ゴールド |
マット:ホワイト |
前面:透明アクリル、UVカット |
額装サイズ:80cmx96cm |
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