ファンジオ(アルファロメオ158)はエタンスラン(タルボ・ラーゴ)、ボブ ジェラール(E.R.A)をリードしてホテル・ミラボーにさしかかる。
第一ラップ、タバコ付近でのファリナのスピンに端を発した集団事故で、リタイヤ・マシンの続出、ファンジオは易々と優勝する。
以後彼は、F1史上場最初の24勝を続け、「ファンジオ」は伝説のレーサーとして語り継がれることとなる。
また、これによりアルファロメオはモナコ3勝目となった。
アルフレッドの画筆はホテル、ホテル・ミラボーの鈴なりの観客にも向けられている。
ファンジオの巻き上げる砂埃が現在のF−1レースにはない迫力を感じさせ、画面を見るものが、思わず身を乗り出してしまうようだ。
この年、アジアでは朝鮮戦争が起こり、冷戦が激化の一途をたどるが、ヨーロッパでは大戦の復興が本格化する時代である。
日本では警察予備隊が設置され、マッカーサーにより、共産党中央委員が追放、さらに翌年には、サンフランシスコ講和条約が締結。 |
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ドライバー/マシン |
Driver/Machine |
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ファン・マニュエル。ファンジオ/アルファ ロメオ 158
エタンスラン/タルボ・ラーゴ
ボブ・ジェラール/E.R.A. |
Manuelle Fangio/Alfa Romeo 158
Etancelin/Talbot Lago
Bob Gerard/E.R.A.
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アルフレッド・デ・ラ・マリア ―「力と勇気」「感動と希望」を描く男 ―
1940年、ウルグアイに生まれる。モンテビデオ市、ベラス・アートスクールに学び、建築を専攻。
18才頃より、現地有力紙上に、「政治」、「スポーツ」イラストを担当。
1961年、プンタ・デル・エステ市にて、初の個展を開催、彼の「海洋画」は人気を呼び、彼をスターダムに押し上げる。
1966年(26才)にパリへ留学、3年間滞在。帰国後、アルゼンチン、ブエノスアイレス市の有力新聞社に招聘され、
25年にわたり「オートムンド」「パラブリサス」「エル・トニ」「ダルタニアン」等でイラストを連載。
1989年、一連の絵画を、アルゼンチン・ブエノスアイレス・クラシック・カークラブに常設展示、モータースポーツ画家としての名声を確立した。
現在、ヨーロッパ、アメリカで最も有名なモーター・スポーツ・アーティストの一人者に数えられている。
1981年ローマ法王、ヨハネ・パウロII世による、アルゼンチン、チリーの国境紛争仲裁の際、彼の描く「法王による平和」の肖像画は法王庁に献上の後、
アルゼンチンに寄贈され、現在ブエノス・アイレス市のバシリカ・ルーアンに見られる。「法王を描いた男」として、中南米の画家としては、1−2に数えられる存在。
肖像画、歴史題材画の名手でもある。 |
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仕上げ:4.5センチ幅、木製金箔張り仕上げ。 |
カラー:ゴールド |
プロフィール:5mm,ゴールド |
マット:ホワイト |
前面:透明アクリル、UVカット |
額装サイズ:80cmx96cm |
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