ジャガー、C タイプ(ブリティッシュ・グリーン)を操る、”無敵の帝王”、
スターリング・モス、フェラーリ、340のピエロ・カリーニがロイヤルボックス前を轟音とともに駆け抜ける瞬間、レースはモス、マンソンが24ラップまで死闘を演じる。
優勝はマルゾット侯のフェラーリ225 S スペイダーのモナコ初勝利に終わり、1−5位まですべてをフェラーリが独占する完全勝利に幕を閉じる。
マンソン(ゴルディーニ)、ルペ(タルボ・ラーゴ)、パーネル、マクリン(アストン・マーチン、DB 3)、そしてフェラーリ軍団が一団となって追尾する中、
モスは24ラップまでリードを続けるものの、またまた優勝を逸す。また、画中の2人、ピエール・ルペ、ランス・マクリンは1955年の「ルマンの悲劇」で再び相まみえる。
モス、カリーニはもとより、ロイヤルボックスの、貴賓達の表情までが克明に描かれ、観客の喚声まで聞こえてくるようだ。
マシンの臨場感を伝えるアルフレッドのテクニックも冴えわたる。
この年は、我が国では”サンフランシスコ平和条約、日米安保条約”が締結され、国際社会に復帰を果たす。”メーデー事件”が起こっている。 |
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ドライバー/マシン |
Driver/Machine |
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スターリング・モス/ファクトリー・ジャガー C−タイプ
ピエロ・カリーニ/フェラーリ 340
マンソン/コルディーニ
ピエール・ルペ/タルボ・ラーゴ
レグ・パーネル/アストンマーチンDB3
ランス・マクリン/アストンマーチンDB3
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Stering Moss/Jaguar C-type (British Green)
Peiro Carini/Ferrari 340 (Red)
Manson/Cordini
Pierre Levegh/Talbot Lago
Reg Parnell/Aston Martin DB3
Lance Macklin/Aston Martin DB3
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アルフレッド・デ・ラ・マリア ―「力と勇気」「感動と希望」を描く男 ―
1940年、ウルグアイに生まれる。モンテビデオ市、ベラス・アートスクールに学び、建築を専攻。
18才頃より、現地有力紙上に、「政治」、「スポーツ」イラストを担当。
1961年、プンタ・デル・エステ市にて、初の個展を開催、彼の「海洋画」は人気を呼び、彼をスターダムに押し上げる。
1966年(26才)にパリへ留学、3年間滞在。帰国後、アルゼンチン、ブエノスアイレス市の有力新聞社に招聘され、
25年にわたり「オートムンド」「パラブリサス」「エル・トニ」「ダルタニアン」等でイラストを連載。
1989年、一連の絵画を、アルゼンチン・ブエノスアイレス・クラシック・カークラブに常設展示、モータースポーツ画家としての名声を確立した。
現在、ヨーロッパ、アメリカで最も有名なモーター・スポーツ・アーティストの一人者に数えられている。
1981年ローマ法王、ヨハネ・パウロII世による、アルゼンチン、チリーの国境紛争仲裁の際、彼の描く「法王による平和」の肖像画は法王庁に献上の後、
アルゼンチンに寄贈され、現在ブエノス・アイレス市のバシリカ・ルーアンに見られる。「法王を描いた男」として、中南米の画家としては、1−2に数えられる存在。
肖像画、歴史題材画の名手でもある。 |
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仕上げ:4.5センチ幅、木製金箔張り仕上げ。 |
カラー:ゴールド |
プロフィール:5mm,ゴールド |
マット:ホワイト |
前面:透明アクリル、UVカット |
額装サイズ:98cmx83cm |
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