ホテル ボー・リバージュを背景に、轟音をあげて駆け抜ける、ブラウヒッチ(メルセデス W 125)。
後続は、ルドルフ・カラチオラ(メルセデス W 125)とファリーナ(アルファ・ロメオ)。
これを機に、メルセデスは3年連続でF−1を制覇し続ける。
アルフレッドのモナコ・グランプリ・シリーズの中でもっとも人気のある一枚。
光と音を描きあげるといわれる彼の絵画の中でも、水色のメルセデスが路面に光り、ホテルの屋上に国旗のはためく様子は、見るものに安らぎすら与える。
彼の絵には、後続のマシン、一台一台、観客、一人一人がメルセデス同様に主役となっており、観戦者がそれぞれ勝手な表情で描き込まれているのが特徴である。
1937年には、生まれてもいない作者が、まるで観戦しているかのように描く、彼の天才ぶりが躍如である。
1939年はヨーロッパでは第2次世界大戦が始まり、日本では昭和14年、国際連盟の脱退。日中戦争が始まった年。 |
|
ドライバー/マシン |
Driver/Machine |
|
マンフレッド v.ブラウヒッチ/メルセデス W125
ルドルフ・カラチオーラ/メルセデス W125
ファリーナ/アルファロメオ
ピンタクーダ/アルファロメオ
|
Manfred von Brauchitsch/5.6ltr. Mercedes W125
Rudolf Caracciola/5.6Ltr. Mercedes W125
Farina/Alfa Romeo
Pintacuda/Alfa Romeo
|
|
|
アルフレッド・デ・ラ・マリア ―「力と勇気」「感動と希望」を描く男 ―
1940年、ウルグアイに生まれる。モンテビデオ市、ベラス・アートスクールに学び、建築を専攻。
18才頃より、現地有力紙上に、「政治」、「スポーツ」イラストを担当。
1961年、プンタ・デル・エステ市にて、初の個展を開催、彼の「海洋画」は人気を呼び、彼をスターダムに押し上げる。
1966年(26才)にパリへ留学、3年間滞在。帰国後、アルゼンチン、ブエノスアイレス市の有力新聞社に招聘され、
25年にわたり「オートムンド」「パラブリサス」「エル・トニ」「ダルタニアン」等でイラストを連載。
1989年、一連の絵画を、アルゼンチン・ブエノスアイレス・クラシック・カークラブに常設展示、モータースポーツ画家としての名声を確立した。
現在、ヨーロッパ、アメリカで最も有名なモーター・スポーツ・アーティストの一人者に数えられている。
1981年ローマ法王、ヨハネ・パウロII世による、アルゼンチン、チリーの国境紛争仲裁の際、彼の描く「法王による平和」の肖像画は法王庁に献上の後、
アルゼンチンに寄贈され、現在ブエノス・アイレス市のバシリカ・ルーアンに見られる。「法王を描いた男」として、中南米の画家としては、1−2に数えられる存在。
肖像画、歴史題材画の名手でもある。 |
|
仕上げ:4.5センチ幅、木製金箔張り仕上げ。 |
カラー:ゴールド |
プロフィール:5mm,ゴールド |
マット:ホワイト |
前面:透明アクリル、UVカット |
額装サイズ:83cmx93cm |
|
|
|
|
|